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【映画レビュー】天気の子は何がすごいのか。自然と流れ出る涙の理由。

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天気の子。(今更かよと言わないで頂きたいw)本能が2019年ベストムービーに選ぶ新海誠監督作品の中で最高評価の1本。個人的なマニアックな視点でレビューさせて頂ければ。

君の名はの次

この映画を見るために、5回TOHOシネマズに行った。あるときはTCX(TOHOシネマズエクストララージスクリーン)あるときはIMAXで(笑)行くたびに涙した。見てない方の為に断っておくと、この映画が決して子供向けティーン向けに作られた映画だったとは思えない。ストーリーも音楽も芳醇で『君の名は』の時もそうだが20代、30代以降の大人向け、大人にもウケるが新海作品なのである。

 

新海誠監督の心中を察するに君の名はの次回作という、とてつもないバイアスが掛かった環境での映画だったことは想像に難くない。トイストーリーが2より初代派が多くアナ雪が2より初代派が多い歴史が証明したトラウマに挑まなくてはならないのである。(君の名は2ではないがw)

 

良くも悪くも認知度的に新海誠の名前はスタジオジブリクラスに有名になってしまった。なってしまったという表現だとネガティブに聞こえるが彼にとってポジティブな面だけでは無かったのは、『君の名は』と見比べるとよく分かる。『君の名は』と比較すると、

 

劇中に登場するスポンサーの数とスケールが段違いに

 

なっているのである。有名ドコロだとSoftbank、SUNTORY、マクドナルド、ローソン。

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すごい企業たちである。新海誠監督の幻想的な背景に自社の製品やサービス、プロダクトが映り込むだけでこんなに素敵なブランディングはないのである。本能がマーケターでも、いくら積んででもスポンサーになりたいw主人公の天野陽菜が水を飲むだけでこんなに絵になるのだから、新海マジックってすごい。

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どんな契約かまでは分からないが、君の名は製作時とはまるで環境の違う状態で作品作りをしなくてはならなかったのでは無いかと容易に想像できるのである。新海誠監督につく注文やブランディングは『君の名は』時よりも大きなものであったと思うと映画製作って有名になればなるほど自由も失われたりするのかもと邪推した。新海誠はそんなしがらみや世間の耳聞を胸に今回の天気の子に挑んだのである。

 

天気の子の世界

東京である現代の。雨が続く現代の東京。新海監督に東京を描かせたら、若い子はみんな上京したくなるほど美しく毎回描くのである、『君の名は』や『言の葉の庭』でもそうであったように。生活に困窮しながらも清貧に生きる天野姉弟、理由は語られないが地元の島から逃げ出した帆高。彼らの恋愛模様を描くメインストーリー。現代に本当に貧困などしかも東京で若年者の貧困などあるのだろうかと、お思いになる方も居るであろうが様々な事情から生活の援助が必要な若者が都内においても居るという事は事実である。そんな、東京で彼らは生活のために起業する。陽菜の天気の巫女の能力を使いSNSで、晴れにして欲しい人を募集するのである。この辺の感覚がすでに東京っぽい感じなのである。15,16歳の子がタブレット一つで起業する時代であり、それが2019年の東京なのである。

 

胸の奥が苦しくなる純愛

起業が軌道に乗った頃に、陽菜の体に異変が起き天気の巫女の運命として体を捧げなくてはならなくなる。大切な弟や帆高の前から忽然と姿を消す陽菜。この記事を読んでくださっている方で肉親や恋人や子供や愛犬が亡くなってしまい忽然と目の前から居なくなってしまった経験をしたことがある人は少なくないと思う。もっというと、そういう

 

喪失体験をした人にとても刺さる映画なのだ

 

と思った。大切な人や存在が居なくなった世界において、本来気持ちが晴れやかになる快晴や青空など何の価値もないのである。大切な人が居ない世界は残された者にとって

 

全く違う世界に生きている感覚

 

になるのだ。これは経験したものにしか分からない。だから、喪失体験が少ない10代や若い人よりこれまでの経験値で悲しい記憶を携えた中年や中高年に刺さるのである。純粋に大切な人より優先すべきものなどないのである。それが天気であろうが国家権力であろうが。

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 愛別離苦

 仏教の「八苦」のひとつに「愛別離苦」という苦しみがあると言われているのは、ご存知であろうか。

 

-あいべつりく【愛別離苦】

愛するものとの別離のつらさ。とくに親子・兄弟・夫婦など、愛する人と生き別れたり、死に別れたりする苦痛や悲しみのこと。- 学研辞書

 

少し大袈裟に言うならば

 

会いたい人に会えないのは地獄の苦しみ

 

なのである。よく意味を読んでほしいのだが、死別だけではなく「生き別れる」という点にも触れていること。お互い生きているのに(天気の子の場合は難しいところがだが)会えない辛さというのも確かに存在する。単身赴任で頑張ってる父親、遠洋漁業、自衛隊遠方勤務で頑張っている方々、遠距離恋愛、はたまた死別、離別などいろんなケースがあると思う。帆高が陽菜を救出しに行こうとすることろで追手に捕まるクライマックスシーン

 

「俺はただ、もう一度あの人に会いたいんだ」

 

この気持にこの感情になんの見返りもないはずだ。このストレートな帆高の気持ちに行動に想いに胸を打たれ涙するはずなのだ。純愛であり無償の愛。その対象が恋愛じゃない場合であっても家族であっても肉親であっても思うことは恐らく一緒である。

 

居なくならないで欲しい、一緒に居てほしい

 

人が一人では生きていけないと説く、文脈は太古の昔から言われているが簡単に言うとこういうことなんだと新海誠監督に突きつけられた気がした。

 

野田洋次郎という才能

この映画が公開される前や直後は「愛にできることはまだあるかい」という曲がフューチャーされていたし、東宝側もプロモーションはこちらの曲を推していたように思う。しかし、映画の大ラスで流れる「大丈夫」という曲に心打たれてしまった。実際に年末の紅白歌合戦においても『映画天気の子の主題歌』として歌われたのこの曲だった。

 

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天気の子の代償として体が消失する寸前に、陽菜が帆高にこう言うのである。

 

君に会えて良かった、泣かないで帆高。

 

本来は泣きたいのは消えゆく陽菜の方である。小さな弟を残し、消えなくてはならない。この、悲しいシーンの描写を野田洋次郎は歌詞にこうしたためている。

 

ー「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから

「大丈夫だよ」って 僕は慌てて言うけど

 

なんでそんなことを 言うんだよ 崩れそうなのは 君なのにー

 

誰も大丈夫なわけはない。目の前で愛する人を失った経験をした方なら分かっていただけると思う。生きていくと、避けることのできない悲しみに幾多遭遇する。残されるもの消えゆく者そんな事象を繰り返して世界は時間は止まることなく続いているんだよと新海誠監督に映像として作品として教えられた気がする。結末はハッピーエンドと言えるのか、グレーなゾーンではあるが野田洋次郎の繊細な声と歌詞とオーケストラと共に奏でられる「大丈夫」という名曲ですべてが洗い流される。

 

君の名は。の時より、RADWIMPSと新海誠監督の緻密なすり合わせやシンクロは完璧だったように思う。「音楽が映画に華を添える」というニュアンスを評価で見聞きするがそのレベルを遥かに超え、野田洋次郎の才能が無ければこの作品の感動はなかったはずで映画のためだけに、これだけの楽曲を何曲も作り上げ新海誠監督にも聴衆にも納得させる技術とセンスを持ち合わせた作曲家は他に居ないような気がした。

 

『君の名は』『天気の子』RADWIMPSと新海誠のタッグはこれで終わってしまうのか次回作が気になるところである。

 

天気の子は、未だにロングラン上映されているようである。5月末には待望のBlu-ray、DVDの発売も控えている。アニメだからとか、こういうのあんまり興味ないとか言うご意見はあろうかと思うが、騙されたと思って見ていただけたら幸いである。

 

映画とは監督が持つ物事の視点

 

だと考えている。新海誠監督がもつ純粋で美しい価値観が毎回とても好きである。