ひろゆきが好きな本能ブログホッピーは僕の友人です、さじゃんです。メンタリストDaigoさんが激しく炎上しています。
簡単に要約すると、You Tubeの生配信中にDaigoさんが「生活保護受給者のために税金を収めたくない」「ホームレスなんていないほうが良い」と思いきった発言!?をし波紋を広げています。
今回の騒動についてホリエモンにまで火の粉が飛び火w発言そのものを肯定している訳ではないのですが、自分の餃子事件と同じで「コロナ禍の世間の不満のサンドバッグになっている」と解説。その視点自体は正しいとは思うのですが、問題の本質はそこではないとホリエモンにまで延焼が及ぶ勢いに。
兎にも角にも過去には芸能人が生活保護の受給に関して炎上した事もあり気軽に扱ったり発言して良いテーマではないと考えております。
私さじゃんとトモGPは長きに渡り、医療現場で働く本職を持っており生活保護受給者の患者さんや社会的弱者と呼ばれる患者さんと接してきました。そこで感じた本質的な問題や今回の発言の何が問題なのか考えてみたのでお話したいと思います。
断罪されるべきは”生活保護不正受給者”であり生活保護そのものではない
今回の騒動を受けてか厚生労働省が生活保護の権利に関するツイートを行いました。
【生活保護を申請したい方へ】
— 厚生労働省 (@MHLWitter) 2021年8月13日
「生活保護の申請は国民の権利です。」
生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください。相談先は、お住まいの自治体の福祉事務所までご連絡をお願いします。https://t.co/yKdp1sjS0b
そうなのです、「申請できる権利」は日本国に住む国民であれば誰しもが有する権利であり恥ずかしいことでも憚れれる事でもないのです。メンタリストDaigoさんの発言だけを聞いたりインパクトのある受け止めをしてしまうと
生活保護受給者は社会悪である
といった主張に聞こえます。それは大きな間違いで確かに先に挙げた芸能人の不正受給問題があって日本における生活保護がNegativeなインパクトを持って受け止められているのは実際風潮としてあると思います。しかし、僕たち医療関係者が生活保護の患者さん(保険証というか受給者証で判断可能)のケースを様々見ていくと必ずしも不正受給しているケースが多いというわけでもなく(中にはもちろん疑わしいケースもありますが)自治体や市町村の担当者の方が精査し必要だと思われる方に支給されていると感じます。様々なケースを一般の方よりは接してきた自信がある自分たちですが、
・精神的な疾患で働けなくなった
・一時的に収入が途絶えて生活が立ち行かなくなった
・病気が原因で収入やなく貯蓄もなくなった
・経済的に頼れる親族がいない
といったケースが一般的です。ですが、生活保護受給者の患者さんが社会復帰し生活保護から脱却したケースもたくさん見ており結果的に
一時的に支給されて無事に社会復帰できた
素晴らしいケースもあるのです。もちろん不正受給と思しきケースも散見しました。その際は市町村の担当者と連絡を取り合って再考していただいた事もあります。話を戻しますとDaigoさんはこういった「現場の視点」が大きく欠落しており、イメージだけで発言したとは思いませんが、これだけ賢い方なのに「優生思想」とも取られかねない言い方はやはり良くないように思います。
優生思想が危険な理由
前も話したかもだけど大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる。
— Yojiro Noda (@YojiNoda1) 2020年7月16日
お父さんはそう思ってる。#個人の見解です
昨年、RADWIMPSの野田洋次郎さんがTwitterでこのような発言をし物議を醸しました。今回のDaigoさんの発言にニアリーイコールなテーマだったりしますがこのような考え方を「優生思想」と言ったりします。
ー優生学の目的は様々であるが、「知的に優秀な人間を創造すること」、「社会的な人的資源を保護すること」、「人間の苦しみや健康上の問題を軽減すること」などが挙げられる。 これらの目標を達成するための手段として、産児制限・人種改良・遺伝子操作などが提案された。ーWikipediaよりー
一見、子孫のさらなる繁栄のための種の選別的なポジティブにも受け取られるような考え方に惑わされそうになりますがこうした思想が古くはナチスドイツだったり日本においても戦後最悪の連続殺人事件とされる相模原障害者施設殺傷事件の被疑者の思想のベースになっていたりするのです。つまり、この考え方の危険なところは社会のために
優秀な人は優遇されるべき弱者は淘汰もしくは排除されるべき
という二極論で論じられるからなのです。ホームレスや生活保護受給者は排除されるべき、するべきという考え方を肯定してしまうと社会にとって生活弱者や社会弱者が生きにくい世の中になってしまうことを意味するのです。差別されたりヘイトクライムにあったりと、ただでさえコロナ禍でアジア人が欧米諸国でこのような目に遭っているのにDaigoさんの何気ない発言が彼自信の想像を超えた影響力でもしかしたら、相模原障害者施設殺傷事件の被疑者のように感化される可能性がないとは言えず、こうした視点からも軽はずみに取り上げるテーマでは無かったのかなと思っています。
今だから求められる倫理的視点.マイケルサンデル氏の訴えとは
テレビ朝日の報道ステーションにハーバード白熱教室でおなじみハーバード大教授のマイケルサンデル氏が登場。コロナ禍のアフターコロナのあるべき人の姿を説いています。
新型のパンデミックによって人々に起きた変化、富裕層と貧困層にもたらされた分断について語っています。
もともと存在していた貧富の差や格差がこのパンデミックによってより顕著になったと語っています。
コロナ禍で生活やビジネスに困窮している人たちもいれば一方で金余りと称される株式市場や投資界隈などの格差がどんどん広がっていると指摘しています。
労働者階級においては企業の時価総額ほど、給与水準の上昇が見られておらず生活が更に困窮していっていると語ります。ここで今回のテーマにつながる、
”エリートはなぜ貧困層を見下すのか?”という究極の質問をマイケルサンデル教授にぶつけます。すると
大学の学位を持つものが偏重される”学歴偏重主義”が貧困層を見下す原因であり、アメリカにおいては4年制大学に行ってない人のほうが多く日本でも約半数は4年制大学に進学していません。
能力主義が格差を広げ分断を作り、大学が仕事の優越を決める道具になっていると危惧しています。マイケルサンデル教授は続けます。
世の中や社会は労働者の社会貢献によって成り立っており、”誰もが貢献する何かを持っている”と。非常に胸に刺さった素晴らしい言葉です。
キング牧師の有名なスピーチを挙げ、すべての労働には尊厳が必要だと語りかけます。
労働者の待遇や給与面だけの問題だけではなく彼らに尊厳がないことが問題であると。かつ政治家エリートの思想がこうした分断を広げていると語り
エリートは努力によってその地位を築いたと勘違いをし、貧困層は努力をしていないからと見下してしまうのだと。
成功も貧困も全ては努力ではなく「運の要素によって」もたらされているとマイケルサンデル教授は語ります。
自分の成功は自分だけの功績ではなく、環境や出自によって大きく変わるもので謙虚になるべきだと結論づけています。
これが今回自分がメンタリストDaigoさんに伝えたい結論です。もちろん彼が優秀のは認めますしYou Tubeも楽しく見させていただいております。しかし、彼が猫と楽しく暮らせているのもキャットフードを作っている労働力や本を印刷する工場の労働力であったり彼が愛するワインだってワイナリーで働く労働力によって担保された生活だということなのです。その事を忘れたわけでは無いのかもしれませんが、エリートと呼ばれるDaigoさんクラスの成功者であれば謙虚でいるべきなのかもと思いました。足りなかったのは、考え方でも思想でもなく”想像してみること”なのかもしれません。それでも分からなければ現場に行って体験するしか無いのかなとも思います。
Daigoさんにとって見れば寝耳に水の炎上だったのかもしれませんが、マイケルサンデル教授が言うように今回自分の同意しかねる意見にも耳を傾け少しでも弱者に寄り添って尊敬できる社会人になっていただけたらと考えております。
□2021年8月15日追記□
昨日の謝罪動画を撤回し、今度はスーツを着ての再謝罪。Daigoさんの想像を超えた各社から、関係各所からの大批判や大クレームがあったと想像されます。今回の謝罪動画を見て個人的に思ったのは
Daigoさんて実際の現場のヒアリングやファクトチェックを意外とせずに発言しているのだ
ということが分かってビックリしています。知の巨人的キャラクターで売ってたのでもう少し見識が深い分野だからこそ生活保護やホームレスへのヘイトを投げたのだと思っていました。だとすればちょっと軽率だったなと思いますし、今後の活動への影響は避けられなさそうですね。しかし、予想以上のスピード感で謝罪したこと素直に謝ったことはちゃんと受け止めてあげるべきであるとも思います。
弱者の現実を知らなかったことは素直に認めているのだから
と、今後のDaigoさんの活動に期待しています。