(M11-P+Apo-Summicron 50mm ASPH.)
写真撮ってますか?ライカジャンキー&映像作家の本能ブログさじゃんです。みなさんは、自分がストリートスナップをしたとき
「シャッターを押した瞬間はいいと思ったのに見返すと微妙」
と思ったカットはないでしょうか?自分も20年近くプロ、アマとして撮影してきてライカの液晶ディスプレイで確認したときはいい写真だと思ったのにPCで確認したりライトルームで現像しようとすると
「思ったより良いカットじゃなかった」
と思ったことはないでしょうか?自分は多々あります笑 自分の写真のセンスの無さに愕然としたこともたくさんあります。ライカの世界的コンテストで月間賞を頂いた自分でも思うときがあります。しかし、自分がシャッターを押した瞬間の
エモーショナルな感情には理由があったはず
なのに翌日や一週間以内に見返すと、なんでこんなカット撮ったんだろう?とかもっと露出合わせればよかったとか、以外にピンと合ってないなと愕然とすることがありますよね?この現象を個人的に
「写真の蛙化現象」
と名付けました。どういうことか解説していきます。ライカに限らずスマホでの撮影やGRなどの高級コンデジでも同じことが言えるかと思います。
人は実際の画よりも良い写真を想像してしまう
(M11-P+Apo-Summicron 50mm ASPH.)
こちらの作例は自分が撮影した、2025年1月の銀座でのストリートスナップです。ライトルームでは現像せずほぼ撮って出しの状態です。メラメラと妖艶に曲線を描くLVの壁面模様を表現したかったのに夜間で露光量が足りなかったのか、壁の模様よりも寒そうに歩く人にビューポイントが集中してしまっているように感じます。あまり、ゴリゴリに現像しないのであればこの程度のストリートスナップも悪くはないのでしょうが、ブログで作例として出すほどの写真ではないなと完全に蛙化現象に陥った1枚です。
(M11-P+Apo-Summicron 50mm ASPH.)
こちらはライカストア表参道で展示してあった大変貴重なライカエルメスエディションを捉えた一枚。Jpeg撮って出しも良いところで何も加工していませんが、照明や壁の木目、エルメスのレザーのカラーが完全にマッチして雰囲気のある1枚になったと思います。撮影した直後は貴重なカメラだから一応抑えておくか!ぐらいの軽い気持ちでシャッターを切った記憶があります。
(Leica Q3.)
こちらは最近撮影に出向いた宮城蔵王の”樹氷”を捉えた一枚。木々と雪、寒空のバックと吹雪という「ほぼモノクロに近い世界を映し出す難しさ」を感じた撮影でどう現像しても自然の雄大さや厳しさが伝えにくく、こういう場合は写真よりも動画の方が良いのかも思ったぐらい難しいなと。この写真は逆に撮影時にはいい写真になりそう!と思ったのですが。。。
ここで考察したのが、人間はカメラマンは実際に撮影したときは
実像よりも良いものが写っている!と錯覚し
いざ、PCに落とし込むと「思ってたイメージよりも落ちる」と現実を突きつけられていい写真も冷静にそのカットを判断できなくなるのでは?と思ったりもしました。このイメージの乖離こそが写真の蛙化現象になっていると考えるのです。
いったん写真を「寝かす」
(M11-P+Apo-Summicron 50mm ASPH.)
この写真も東京でのライブペインティングのイベントのひとコマですが、シャッターを切ったときは何気なくレンズの性能を確認したくて「明暗差的に難しい条件だったから」ぐらいの理由だったと思います。しかし、自分で作例のことを肯定するのもなんだか気が引けますが、改めて見ると通行人の男性もアンダーに写っていてペインティングしているアーティストの男性をより引き立たせることに結果的に成功した構図だと思います。この写真もLightroomでの現像を行っておらず、Jpegの撮って出しの1枚です。何が言いたいかと言えば、
撮影したことを忘れる時間分「写真を寝かす」
ことをおすすめしたいのです。確かにシャッターを切った理由があるはずであり、写真家はその瞬間をいい写真になると信じて撮っているはずですが、撮影直後に見返すと(現像ソフトに読み込むと)蛙化現象で猛烈に普通の画作りに見えてしまうのです。デジタルデータですから、ワインやウイスキーのように寝かせることにより物性が変化するという事はありえないですが自分の感性をリセットしないと「いい写真」が見えてこない可能性があるのです。自分のように一月1000枚以上撮るような写真家であればあるほど。
(M11-P+Apo-Summicron 50mm ASPH.)
原宿駅での1枚です。撮ったときは結構アンダー目に写ったなと、あまり確認しなかったのですが(フィルムカメラも好きで撮るので液晶画面であまりチェックしません意図的に)こうしてみると、電車のグリーンと背景の足場のグリーンシートが同系色のグリーンでシンクロしていて、先ほどのLVの写真のように構図や面白さを狙いに行かなくても実はいい感じに撮れているとあとから気づいた作例の一つです。いかにもライカらしいアンダー目の世界線は過度な現像は不要だったりします。
まとめ
(M11-P+Apo-Summicron 50mm ASPH.)
スマホでもコンデジでも一眼レフでも同じなんですが、
・写真には蛙化現象がある
・撮影直後は自分の写真に冷めている(期待値があがりすぎている)
・撮影した事を忘れた頃に見返す
・撮影した時の意図は必ず人には存在する
という事をコラム的に書かせてもらいました。自分はライカというメーカーのカメラメインで作品を作ってきましたが機材系の写真家にはなりたくないと思って活動しています。あくまで主役は撮影者であり被写体であり出来上がった写真であるべきで、何で撮ったかは実は逆説的ですが大切ではないと感じています。インスタグラムに流れてくる、有象無象の写真よりも自分のスマホのフォルダや保存したデータの中にこそ「いい写真」が埋もれています、誰しも。みなさんもこの機会に「昔の写真」見返してみませんか?