Netflixオリジナルの大ヒット韓国ドラマ『イカゲーム』が、ついにシーズン3で完結しました。シーズン1だけ視聴してその衝撃を覚えている私も、約4年越しに公開されたこの最終章をさっそく観ました。結論から言えば、シーズン3は物語・テーマともにより過激で深い境地へと踏み込み、まさに「残酷なクライマックス」を迎えています。シーズン1で感じたスリルと社会風刺はそのままに、さらにスケールアップしたストーリー展開と2大ベテランスター(主演イ・ジョンジェ&フロントマン役イ・ビョンホン)の圧巻の演技によって、私は最後まで画面に釘付けになりました。以下、ネタバレを含みつつ、ストーリー・演技・テーマ・演出の各面から『イカゲーム シーズン3』の感想と考察を綴っていきます(※未視聴の方はご注意ください)。
スリリングが続くシーズン3 展開の深掘り(※ネタバレあり)
シーズン3は、シーズン2から続く「最終ゲーム」として位置づけられており、主人公のソン・ギフン(イ・ジョンジェ)が最後の死闘に身を投じます。シーズン1のラストでゲームの存在を暴く決意をしたギフンは、シーズン2で自ら再びゲームに潜入し、内部からの破壊を図っていました。その試みとして参加者たちを煽動した「反乱」が描かれましたが、シーズン3冒頭でその反乱は無残にも失敗に終わったことが示されます。ギフンを含む反乱メンバーは運営側に鎮圧され、大多数が処刑されてしまったのです。特にギフンの旧友で協力者だったチョンベがフロントマン(イ・ビョンホン)によって目の前で殺害され、ギフンは絶望と怒りに打ちひしがれます。 反乱失敗後、ギフン自身も一度は棺に入れられ処刑されたと見せかけられながらも生かされ、再び参加者宿舎に戻されます。目覚めたギフンは、自分一人だけ生き残らされたことに激高し「なんで俺だけ助けたんだ!俺も一緒に殺せ!」と叫びます。
ギフンの怒りと悲嘆は激しく、スタッフに取り押さえられるほどでした。直後に行われた「続行か中止か」の投票でも、反乱による恐怖からゲーム続行派(◯)が圧倒的多数となり、結局ゲームは終わらせられません。ギフンはこの結果に失望しつつも、反乱を途中で恐れて裏切ったデホという男に怒りの矛先を向け、冷たい眼差しを向けるようになります。 こうして地獄のゲームは再開。
第4ゲーム「かくれんぼ」がスタートします。ただし子供の遊びとは名ばかりで、その内容は極めて残酷でした。隠れる側のプレイヤーには特定の「鍵」が配られ、対応する扉を開ければ逃げ切れるという一縷の望みが与えられる一方、鬼ごっこで鬼役となるプレイヤーにはナイフが支給され、30分以内に誰か1人を殺せば生存できるというルールです。要するに「命がけのかくれんぼ」であり、捕まれば殺される、鬼も殺さなければ脱落という殺伐としたデスゲームでした。 ゲーム序盤、反乱で生き残ったメンバー間には不穏な駆け引きが続きます。ギフンは鬼役として仮面を被り、同じく生存していたデホを追い詰めました。デホは自らの臆病さで反乱を裏切ったことを白状し開き直りますが、それを聞いたギフンは怒りが抑えきれず、ついにデホを絞め殺してしまうのです
。仲間を守るための反乱が招いた失敗、そしてその張本人を自らの手で殺めてしまったギフン。このシーンは、温厚だった彼が極限状態で変貌していく様を示しており、観ていて胸が痛みました。ギフン自身も自責の念に駆られ、その後自殺を図ろうとしますが、皮肉にも運営に止められて命を拾います。極限状態がもたらす人間性の崩壊を、ギフンというキャラクターを通してまざまざと見せつける展開でした。
一方、ゲーム外のパートでは、シーズン1で消息不明となっていたファン・ジュノ刑事(ウィ・ハジュン)が再登場します。彼は実は崖から落ちた後に生還しており、密かに兄=フロントマン(ファン・イノ)を追って再捜査していたのです。ジュノは協力者パク船長の力を借りてゲーム開催地を探索し、ついに島へ再接近します。しかし運営側にも内通者(裏切り者)が潜んでおり、捜査は一筋縄では行きません。例えば、協力者の警官ウ・ソクは島の手掛かりを掴むものの、ゲームの協力者だったパク船長自身に逮捕・阻止されてしまいます。警察サイドの物語もサスペンスフルで、国家権力さえも容易にはゲームの闇を暴けないもどかしさが伝わりました。この「捜査線」と「ゲーム生存線」の二つの軸が並行する構成がシーズン3の特徴で、視聴者としては希望を繋ぐジュノの追跡劇にハラハラしつつ、肝心のゲーム内では次々と尊い命が奪われていく――救済と悲劇のコントラストが非常に緊張感を高めていました。 「かくれんぼ」ゲームでは、プレイヤー同士の裏切りや思惑も絡み合い、犠牲が増えていきます。隠れる側の妊娠中の女性ジュニ(チョ・ユリ)は足を負傷しながらも奮闘し、仲間の女性グムジャの助けを借りてゲーム中に赤ちゃんを出産するという想定外の出来事も起こりました。しかし、出産直後に仲間のヒョンジュが他プレイヤーに殺され、さらに隠れ側メンバー同士も疑心暗鬼に陥るなど、状況は泥沼化します。最終的にジュニと生まれたばかりの赤ちゃん、そしてグムジャだけが何とか次のラウンドへ生き延びました。新生児までもがこの地獄に巻き込まれてしまう展開には唖然としましたが、同時に「ここまでやるか」とも思わされました。実際、無垢な赤ん坊を競技者に加えるという演出によって、本作の反資本主義的モラル(弱者すらもゲームに駒にする資本の論理)が極限まで高められています。
私も「赤ちゃんまで犠牲に…」とショックを受けましたが、これこそ監督ファン・ドンヒョクの狙いなのでしょう。資本主義の論理が行き着く先の非情さを、シリーズ史上最も純粋無垢な存在である新生児を通して描くことで、観る者に強烈な問題提起を突きつけてきます。
第5ゲーム「縄跳び」では、その赤ちゃん(ジュニの娘)がプレイヤーの一人=参加者222番としてカウントされるという狂気が続きます。巨大な縄が振り回される橋を渡りきるという競技で、プレイヤー達は文字通り命綱を握られた状態です。ギフンは「赤ん坊を抱えたままでは危険だ」と一度は尻込みしますが、直前に自殺したグムジャの遺志を汲み、赤ちゃんを抱えて橋を渡る決意を固めます。ギフンは赤子を守り抜き、自身も巧みに縄を避けて渡りきることに成功しました。その姿に触発され、他の何人かも続きますが、中には賞金額を上げるために渡り終えた途端に他者を突き落とす者まで現れました。もはや弱者を思いやる心は一切なく、自分さえ生き残れば良いという醜悪な本性がむき出しになっていく参加者たち…。運営側もそれを見越してか、「このラウンド以降、ゲーム外での殺し合い禁止」という新ルールを発表し、最後の決戦に備えます。私はこの段階で、「人間同士の信頼も倫理も完全に崩壊した」ことを実感し、胸が苦しくなりました。シーズン1ではチーム戦や情が残っていたのに、シーズン3では賞金への欲望と生存本能がすべてを凌駕してしまったのです。 いよいよファイナルゲームを前に、ギフンは意外な人物と対峙します。黒幕フロントマン=ファン・イノ(イ・ビョンホン)本人から密かに呼び出され、「ある提案」を持ち掛けられるのです。フロントマンは「最後まで生き残りたければ他の連中を始末しろ。そうすればお前と赤ん坊だけは助けてやる」という取引を提示してきました。つまり、他の参加者を手にかければギフンと赤ちゃんを優勝させる、と。ここでフロントマンは自らの正体についても明かします。実は彼自身も数年前の2015年大会の勝者であり、その時にゲーム主催者オ・イルナムから与えられたナイフで他参加者を皆殺しにして優勝した過去があったというのです
。弟ジュノが行方不明になってまで追っていた「兄の闇」とは、結局このことでした。この告白にギフンは愕然とし、「自分も同じように仲間を殺せと言うのか」と大きく心が揺らぎます。
最終ゲーム「空中イカゲーム」は、その名の通り高所に設置された3つの円柱台の上で行われる変則的なイカゲームでした(○△□のプラットフォームを模したステージ)。残ったプレイヤーたちは互いにプラットフォーム上で押し合い、相手を突き落とすことで最後の1人になることを目指します。開始早々、薬物中毒の青年ミンスが幻覚にとらわれ足を滑らせるなどして脱落。他の者たちも次々と命を落とし、最終的にこの血の頂上決戦に残ったのはギフンと、その途中で正体を現したミョンギという男の2名だけになりました。ミョンギは実はジュニの赤ん坊の実父であり、彼女を守るためという名目で非情な殺戮を重ねていたことが明らかになります。ギフンとミョンギは最後の一騎打ちとなりますが、その直前、ミョンギは「赤ん坊を渡せ。お前が赤ん坊を抱えている限り、お前は最後の一歩を踏み出せないだろう」と揺さぶりをかけてきました。確かにギフンは赤子を守ることを最優先にしており、ミョンギの言う通りこのままでは勝敗がつきません。しかしここでギフンは一計を案じ、機転を利かせてミョンギを逆に欺きます。隙を突いて赤子を守り抜きつつミョンギを足場から転落させ、ついにギフンが最後の生存者となったのです。 しかし、物語はここで終わりませんでした。勝者となったギフンはなおもゲームのルールによって究極の選択を迫られます。それは「最後のラウンドとして2人のうち1人が犠牲になる」というものでした。つまり、ギフンと赤ん坊のうちどちらかが死ななければゲームは完了しない仕組みだったのです。ギフンは赤ん坊という未来ある命を前に、静かに決断しました。
彼は
プレイヤーは馬じゃない、人間なんだ!
とVIPたちに向かって叫び、自ら台座から身を投じて命を絶ったのです。この瞬間、私は思わず声を呑みました。ギフンの自己犠牲——彼が命がけで示したこのメッセージは、ゲームを傍観していたVIPたち(富裕層観客)にとっても、そして画面越しの私たち視聴者にとっても極めて重い意味を持ちます。それは「参加者は決して競馬の駒(馬)なんかじゃない、人間としての尊厳があるのだ」という叫びであり、シーズン1から通底するテーマである「弱者の尊厳と資本の暴虐」をギフンが体現した瞬間でした。 ギフンの衝撃的な死によってゲームは終了し、直後に島の施設は自爆装置により爆発・崩壊します。間一髪でフロントマンのイノが赤ん坊を救出し、彼を含むVIPたちや協力者ノウル(以前ギフンを助けた内部協力者の女性ピンク兵士)らは何とか島から脱出しました。一方、執念のファン・ジュノ刑事も終盤で脱出を図ったプレイヤー(ギフンが匿っていた男性)を保護し、島に派遣されていたガードたちと銃撃戦の末これを制圧することに成功しています。6か月後——惨劇から半年が経ち、救出された元プレイヤー達のその後が描かれました。グムジャの息子を亡くした悲しみは残るものの、彼女に助けられた男性(病気の娘がいた人物)は奇跡的に娘の病状が回復し、職場の遊園地に復帰して娘と平穏に暮らしています。赤ん坊(ジュニの娘)はというと、公にはゲーム唯一の生存優勝者という扱いになったようですが、その幼い命はフロントマンに救われた後、安全な場所に預けられた模様です(詳しくは描かれませんでしたが、ジュノ刑事が保護したとも取れます)。そして、ラストシーンではフロントマンがある人物の元を訪れていました。それはギフンの母親です。彼女は米国で暮らしており、フロントマンは彼女に「ギフンの遺品」として緑色のトレーニングスーツ(456番のジャージ)とキャッシュカード(賞金の口座でしょう)を手渡しました。ギフンが命と引き換えに守った賞金は、彼自身の娘や母など残された家族へ引き継がれていったのです。 物語の結末はほろ苦くも強烈でした。ギフンという「善良な庶民のヒーロー」は、自分の未来を犠牲に次世代(赤ん坊)の未来を救う選択をしました。しかしその崇高な行いにもかかわらず、世界は何も変わっていないかのように続いていきます。実際、VIPたちはギフンの死に一瞬ショックを受けつつも、結局別の場所で新たなゲームを開催しようと動き出します。その象徴がエピローグの驚きのシーンです。
物語の最後、舞台は突然アメリカ・ロサンゼルスの街角に移ります。そこでハリウッド女優のケイト・ブランシェット演じる謎の女性が、不敵な笑みを浮かべながら新たなゲーム参加者をスカウトしているのです。彼女はアメリカ版イカゲームのリクルーター(勧誘員)という設定で、ごく短い登場でしたが、その圧倒的な存在感でシリーズの幕を締めくくりました。ギフンの犠牲にもかかわらず、デスゲームの連鎖は世界規模で続いていく──なんとも皮肉でゾッとする余韻です。このケイト・ブランシェットのサプライズ出演には思わず声を上げてしまいましたが、同時に「結局資本の悪夢は不滅なのか…」と虚しさも覚えました。しかし裏を返せば、このエンディングによって作品全体を貫くテーマがより鮮明に浮かび上がったとも感じます(※ケイト・ブランシェットの出演は本当に一瞬のおまけ的シーンなので、詳細な役どころについての説明は割愛します)。シーズン3のストーリーはこのように、終始ジェットコースターのような展開と容赦ないクライマックスによって私の心を揺さぶり続けました。
イ・ジョンジェ&イ・ビョンホン —— 二大ベテランスターの貢献度
『イカゲーム』シリーズを世界的人気作品へと押し上げた立役者といえば、やはり主演のイ・ジョンジェさんと、フロントマン役のイ・ビョンホンさんという2大ベテランスターでしょう。その貢献度はシーズン3でも絶大でした。まず、イ・ジョンジェさん演じる主人公ギフンは、シーズン1で負債を抱えた冴えない中年男からスタートし、命懸けのゲームを通じて人間的成長を遂げたキャラクターです。シーズン3ではさらに別人のように変貌したギフンを演じており、序盤では反乱の失敗で心を壊しかけ、仲間を失ったショックで憔悴しきった“抜け殻”状態から物語が始まります。イ・ジョンジェさんはセリフが少ないシーンでも、その表情と目つきでギフンの深い絶望を雄弁に物語っており、圧巻でした。とりわけ、デホを絞殺してしまった直後の取り乱した演技や、グムジャの死をきっかけに赤ん坊を抱いて橋を渡る決意を固める場面での決然とした眼差しなど、シーンごとの感情表現が繊細かつ力強いのです。シーズン1当時から「庶民的で情に厚い人柄」を体現していたイ・ジョンジェさんですが、最終章ではその人情味に加えて激情と悲壮感までも演じ切り、キャラクターに凄みを与えていました。 そして何と言っても、ラストでギフンが見せた自己犠牲のシーンです。命綱を握った最終局面、ギフンが自ら命を投げ出す瞬間、イ・ジョンジェさんの叫ぶ「人間だ!」というセリフに私は震えました。あの一言にギフンの怒りと悲しみ、そして決意のすべてが込められており、まさに鳥肌ものの名演技でした。イ・ジョンジェさんはシーズン1でエミー賞を受賞した実力派ですが、本作でもその演技力は健在で、シリーズを通じたキャラクターアーク(成長と変化)を見事に締めくくったと言えます。Time誌のレビューも「本作は感情的深みとキャラクターアークで骨の髄まで切り込んでくる」と評しており、ギフンというキャラクターに私たちが深く共感し感動できるのは、ひとえにイ・ジョンジェさんの熱演あってこそだと痛感しました。 一方、イ・ビョンホンさん演じるフロントマン(ファン・イノ)は、シーズン1では謎めいた黒幕として顔を隠して登場し、ラストで彼がジュノ刑事の兄であることが判明して視聴者を驚かせました。シーズン2以降、イ・ビョンホンさんの存在感はさらに増しており、最終章では物語の鍵を握る重要人物となっています。彼の貢献度はまず何よりその圧倒的なカリスマ性でしょう。フロントマンは冷徹非情なゲーム運営者でありながら、内面には葛藤も抱えているキャラクターです。シーズン3では彼の過去(2015年大会で優勝しフロントマンになる経緯)が描かれ、人間像に深みが増しました。イ・ビョンホンさんは回想シーンで見せる若かりし頃の熱血な姿と、現在の冷酷でミステリアスな仮面の下の素顔とを見事に演じ分けています。
特に、ギフンとの直接対峙シーンはシリーズ屈指の名場面でした。フロントマンとしてはゲームを完遂させる使命がある一方で、どこかギフンに対して個人的な興味や情も感じさせる複雑な態度をとります。イ・ビョンホンさんの低く抑えた声や目線の演技からは、イノという男の内なる葛藤(弟ジュノへの想いや、自身もかつては参加者だった記憶など)が滲み出ていました。最終的にギフンの自己犠牲を目の当たりにした際、フロントマンの心境にも変化が生じ、赤ん坊を救出する決断を下します。この場面で仮面越しに見えるイ・ビョンホンさんの目には、一瞬ですが揺れる感情が確かに映っていました。ほんの僅かな演技で「心を動かされた」ことを感じさせるのは、さすがベテラン俳優ならではの表現力です。 さらに、エピローグでのケイト・ブランシェットとの共演シーンでも、イ・ビョンホンさんは存在感を放っていました。台詞少なにギフンの母へ遺品を手渡すだけのシーンですが、その佇まいからはフロントマンという男の哀愁が伝わってきて、私は胸が締め付けられました。結果的に、イ・ジョンジェさんとイ・ビョンホンさんという二大ベテランスターが最後まで作品を牽引し、物語に重厚さと説得力を与えていたことは間違いありません。お二人の演技のぶつかり合いは見応えがあり、特に最終話での“ヒーロー対オーバーロード”(ギフン vs フロントマン)の構図は鳥肌ものの緊迫感でした。シーズン3はストーリー的には賛否両論ある結末となりましたが、この二人の熱演があったからこそ、私は最後まで物語に引き込まれ、深く考えさせられたのだと思います。
今回のレビューは長くなってしまいましたのでここまでとさせていただきます。後編はあす、監督の視点や作品を通してのメッセージ性を深堀りしてみたいと思っています。