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Netflix『イカゲーム シーズン3』レビュー|世界的人気の理由を探る本気レビュー(ネタバレあり)|後編

イカゲーム最終シーズンの全力解説&考察の今日は後編になります。前回の記事だけでも5000字を超えてしまい、本能ブログとしてはかなり本気のレビュー記事になってしまいましたが今回のシーズン3はそれだけの魅力あるものだったとも言えるかと思います。

社会的・監督的メッセージやテーマ性の考察

『イカゲーム』シリーズといえば、社会派のテーマと鋭いメッセージ性が大きな魅力です。シーズン3でもその本質は変わらず、むしろテーマ性がより濃密に突き詰められた印象を受けました。まず根底にあるのは、シーズン1から一貫する「格差社会における人間の尊厳」というテーマです。借金に追われ社会から見放された人々が、大金を餌に命を賭したゲームに参加させられる構図は、資本主義社会の縮図として描かれてきました。最終章ではそれがさらにエスカレートし、新生児までもゲームのコマにするという暴挙に出ることで、弱者切り捨ての極致を表現しています。生まれたばかりの赤ん坊すら搾取の対象とする展開には戦慄しましたが、これは明らかに現実世界の風刺です。貧困層や社会的弱者が時に自身の意思とは無関係に過酷な環境に追いやられる現実を、赤ん坊という無垢な存在を使って極端に示したのでしょう。監督のファン・ドンヒョク氏も

「本シーズンでは人々が激しい競争の中でどう人間性を保つかに焦点を当てつつ、人間の底辺を露わにする過酷なゲームを導入した」

と語っています。まさに、極限状況下での倫理観や人間性の維持というテーマが貫かれていました。 ゲーム内で繰り広げられる倫理的ジレンマも、本作の重要なテーマです。シーズン3ではギフンが仲間を救うため反乱を企てるも失敗し、自らも人を殺めてしまうという倫理の堕落を経験します。また、妊婦のジュニや彼女を助けるグムジャといった善良な人物ですら非情な選択(自殺や犠牲)を迫られる展開は胸が痛みました。究極的には、「善人が果たして最後まで善人でいられるのか」という問いが突きつけられていたように思います。ギフンは最後の最後に自分の命を投げ出すことで人間性を貫きましたが、それ以外の多くの参加者は倫理観を捨てて残虐性むき出しになっていきました。この描写は、人間が置かれる環境次第でいかに残酷にもなり得るか、倫理観が極限状況で脆く崩れる様を浮き彫りにしています。

同時に、その中でなお自己犠牲という善の光を示したギフンの対比が、かえって強い印象を残しました。観終えた後、私は「自分なら果たしてあの状況で人間性を保てるだろうか」と深く考え込まずにはいられませんでした。 国家や社会制度の問題についても、本作は鋭い視点を投げかけています。シーズン1では警察に通報しても相手にされない現実や、負債者を見捨てる社会の冷たさが描かれました。シーズン3ではジュノ刑事という存在を通し、国家権力の限界や腐敗が示唆されます。ジュノは警察内部の協力をほとんど得られず、たった一人で兄を追い、最後は警察内に潜む裏切り者(ゲーム側の内通者)によって窮地に陥りました。さらに極めつけは、ゲームのVIP達が政財界の大物であることが仄めかされる点です(具体名は出ませんが、明らかに権力者たちがスポンサーになっています)。つまり、国家の監視の目を掻い潜って違法な殺人ゲームが続行できてしまう背景には、腐敗した富裕層や権力層の存在があるわけです。この構図は現実社会にも通じるものがあります。巨大な悪事が往々にして権力者によって隠蔽されたり許容されたりする――そんな悲しい現実への批判が、本作には込められているように思えました。 そして何より、本シリーズのテーマの根幹は資本主義批判でしょう。富裕層VIPたちが貧者の命を弄ぶ様は、露骨なまでに資本主義の弊害を描いています。シーズン3ではその表現がさらに苛烈になり、VIP自らが銃を手にして参加者を処刑する場面さえありました。彼らにとって労働者階級の命はゲームのコマでしかなく、自分たちは神にでもなったつもりで裁きを下す。この歪んだ支配構造は極端ではありますが、お金と力を持つ者が弱者を支配・搾取するという資本主義社会の暗喩として機能しています。ギフンが発した「人間は馬じゃない」という叫びは、まさにVIP=支配者層へのアンチテーゼでした。監督ファン・ドンヒョクは、こうした社会風刺をエンターテインメントに巧みに織り交ぜる名手です。最終話の結末についても「どんな崇高な努力があっても、結局世界は元通りだ」というシニカルな視点を提示しています。

実際、ギフンが命懸けでゲームを止めようとしても、新たなゲーム(米国版)の芽が出てしまうという終わり方は、一種の虚無感を伴います。しかし私は、このビターな結末こそが本作に相応しいと感じました。といいますのも、現実の社会問題——貧富の格差や資本の暴走——はそう簡単には解決しないという厳しい事実があるからです。**「それでも未来の世代に希望を託し、我々は何を残せるのか」**という問いを、ギフンの犠牲と赤ん坊の生存という対比が象徴していました。シーズン3は観る者に楽観的な救いを与えることなく終幕しましたが、そのぶん私たちに考える余地と強烈なメッセージを残したと言えるでしょう。

個人的には素晴らしい傑作と言って良い作品全体の完成度

シーズン3はNetflixによるグローバルメガヒットの最終章だけあって、映像面・演出的にも非常にクオリティが高かったです。まず、ゲームの舞台設定や美術デザインが圧巻でした。シーズン1ではカラフルで不気味なだるまさん人形や、不条理なほど可愛らしいセット(砂糖菓子の遊戯場やカラフルな階段迷路など)が印象的でしたが、シーズン3ではダークでスリリングな雰囲気が一段と増しています。第4ゲーム「かくれんぼ」のステージは巨大な迷路のような暗い建物で、緊迫感が漂う照明設計がなされていました。プレイヤー達が怯えながら身を潜め、ナイフを持った鬼が暗闇を彷徨うシーンでは、影の使い方やカメラワークが秀逸で、私まで息を潜めて観てしまいました。また、第5ゲーム「縄跳び」のセットは高所にかけられたガラス橋状のステージで(シーズン1のガラス橋ゲームを彷彿とさせます)、その下には底知れぬ闇が広がっているという恐ろしいものでした。振り子のように巨大なロープが行き交い、参加者が次々と奈落に落ちていく様は悪夢のようでありながら、どこかシュールな美しさも感じさせます。死と隣り合わせのスリルを視覚的に表現するカメラアングルも素晴らしく、高所恐怖症の私は映像を見ているだけで足がすくむ思いでした。 最終ゲームの舞台「空中イカゲーム」は、その名にふさわしくシンボリックなデザインでした。漆黒の空間に浮かぶ3つのプラットフォーム(○△□)は、シンプルながら不気味で、登場人物たちの運命を左右する決闘の場として強烈な印象を残しました。ここでの演出は極めてミニマルで、観客であるVIPたちも静まり返った中、ただ人間同士のぶつかり合いだけが焦点化されます。私はこのシーンで、シーズン1の最終ゲーム(伝統遊びの「イカゲーム」)が行われた雨の校庭を思い出しました。あの時もシンプルな舞台設定で二人の男が死闘を繰り広げましたが、シーズン3ではそれを遥かに上回るスケールと狂気で再現したように思えます。批評家からは「クライマックスはおぞましいまでの凄惨さで、クリエイターのテーマを突きつけるとの指摘もあり、まさに血みどろのクレッシェンドといえる演出でした。 音楽・サウンド面にも触れたいと思います。

『イカゲーム』といえば、シーズン1で使われた韓国の童謡や「だるまさんが転んだ」の歌声、あるいはクラシック音楽(※VIPシーンでの優雅な曲など)との対比が印象的でした。シーズン3でもその路線は受け継がれつつ、新たな楽曲が物語を盛り上げています。特に心に残ったのは、ギフンが最終的な決断を下す直前に流れた荘厳なスコアです。オーケストラ調の重厚な曲が静かに高まり、「人間であること」の尊厳を歌い上げるように響いてきました。また、緊張感のあるシーンでは敢えて無音の静寂を使う演出も見事でした。例えば、VIPが処刑に加わる場面や、ギフンとフロントマンが対峙する場面では、一瞬周囲の喧騒がスッと引いて心臓の鼓動だけが聞こえるような演出がなされ、背筋が凍りました。 監督のファン・ドンヒョク氏の演出手腕も健在です。テンポの緩急の付け方が巧みで、第4ゲーム〜第5ゲームにかけてはノンストップのアクションと衝撃展開で視聴者を畳みかけ、その後フロントマンとの静かな心理戦で一息つかせ、最後にまた怒涛の決戦へと突き進む構成には唸らされました。シーズン2では「物語が停滞気味」と感じた部分も正直あったのですが、シーズン3は終盤に向けて一気に盛り返し、私は一瞬たりとも気を抜けませんでした。6話構成というコンパクトさも功を奏し、濃密で無駄のない最終章だったと思います。 映像美についてさらに触れると、今回も随所にシンボリックなビジュアルが散りばめられていました。例えば、ソウル市内で行われたピンク兵士たちのパレードや世界各地でのファンイベントの様子がニュースとして差し込まれる場面がありましたが、これにより「イカゲーム現象」がグローバルに広がっていることが示唆されます。実際、劇中世界のみならず現実世界でも、シーズン3公開時には世界93か国で視聴ランキング1位を獲得し、公開週に6000万以上の視聴数を叩き出すという社会現象ぶりでした。私はNetflixの公式発表記事でその数字を見て、改めてこの作品の影響力に驚かされました。シーズン3のストーリー中でもVIPたちが「我々のゲームは世界中で行われている」ことを示唆するセリフがあり、ラストのアメリカ編への繋がりも含め、作品内外の垣根を超えた広がりを感じました。

総じて、シーズン3の映像・演出・音楽は期待以上の完成度で、シリーズの有終の美を飾ったと思います。もちろん、過激なバイオレンス描写やショッキングな展開の連続に、人によっては「やりすぎ」と感じる部分もあるでしょう。実際、一部視聴者からは「残虐さが先行しすぎ」「シーズン1のような新鮮な驚きが薄れた」との声も上がっています。批評家の中にも「シーズン3は満足のいく結末とは言えない」と辛口な評価をする人もいました。しかし私は、最終章ゆえの振り切った演出はむしろ潔く、本作らしいと感じました。シリーズ全体を通して積み上げてきたテーマを、最後にここまで振り切って表現したからこそ、視聴後に強烈なインパクトが残ったのだと思います。映像や音の暴力性も決して無意味なものではなく、観る者に訴えかけるための必然だったと受け止めています。

まとめ: シーズン3を観終えて

『イカゲーム シーズン3』は、私にとって非常に刺激的で考えさせられる最終章でした。ストーリー面では衝撃の連続で、善人が追い詰められ悪に染まっていく過程や、主人公ギフンの崇高な最期が強く胸に刻まれました。イ・ジョンジェさんとイ・ビョンホンさんという二大ベテランスターの貢献度も計り知れず、その演技合戦はドラマに深みと重みを与えていました。社会的メッセージの面でも、格差・倫理・国家・資本主義といったテーマがこれでもかというほど盛り込まれ、単なるサバイバルスリラーの枠を超えて寓話的な重厚さを感じる作品でした。 シーズン1のみ視聴の方にとっては、シーズン3の展開や結末は驚くこと続きかもしれません。正直、物語としての爽快なカタルシスや勧善懲悪的なハッピーエンドは用意されていません。それゆえに視聴後は複雑な感情が渦巻くかもしれませんが、それこそが**『イカゲーム』という作品が伝えたかった現実の姿ではないでしょうか。私はシーズン3を見終えて、胸にぽっかり穴が空いたような喪失感と同時に、「人間とは何か」「社会の不条理にどう向き合うべきか」という問いが突き付けられたように感じました。観る人によって様々な受け取り方があるでしょうが、少なくとも私にとってシーズン3は期待を裏切らない、いや期待以上の問題作**でした。 Netflixによる公式データではシーズン3は公開直後に全世界で記録的な視聴数を叩き出し、シリーズ最大級の盛り上がりを見せたそうです。それだけ多くの人々がこの結末を見届け、その是非やメッセージについて議論しているのでしょう。「イカゲーム シーズン3 感想」を検索すれば、多くの賛否両論の声がヒットします。私自身は、本作のラストについて悲しい気持ちはありつつも、「これで良かったのだ」と納得しています。ファン・ドンヒョク監督がインタビューで「この物語で描きたいことは全て描き切った。これ以上続編で描くべきことはない」と語っていたように、シーズン3は作者が伝えたかったテーマを貫徹したフィナーレだったと思うからです。 シーズン1をご覧になって本作に惹かれた方であれば、シーズン2と3もぜひ体験してみてください。たしかにシーズン1のような鮮烈なオリジナリティには及ばない部分もあるかもしれません。しかしシリーズを通して積み重ねられた物語は、最終章で一気に花開き、あなたに深い余韻と考察の種を残すはずです。2大ベテランスターの貢献度が光る熱演、心を抉るストーリー、そして現代社会への鋭い問いかけ——『イカゲーム シーズン3』は間違いなく議論に値する作品です。私はこの最終章を観終えて改めて『イカゲーム』という物語が提示した残酷な真実とそれでも滅びない人間の尊厳について、深く心を揺さぶられました。そして何より、久々にドラマ作品でこれほどまで分析的にも感情的にも揺さぶられる体験ができたことに感謝したいです。 最後に…もしあなたがシーズン1以来久しぶりに『イカゲーム』の世界に戻るなら心して挑んでください。シーズン3はあなたの予想を覆し見てよかったと思えるほどの完成度だと思っています。ぜひ、Netflix・制作陣の本気を感じ取っていただけたらと考えています。前後編10000字に及ぶレビューになってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

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