
TVアニメ1期で衝撃的なデビューを飾った『チェンソーマン』が、ついに劇場版でレゼ篇を描き出しました。やっと見ることで出来たので今日はネタバレ有りでレビューを本気で書いていこうと思っています!今回は10/18日にTOHOシネマズ歌舞伎町で視聴しましたが、ほぼ満席でこの映画の人気の高さを再確認することにもなりました。

近年では『鬼滅の刃』がTVシリーズ(立志編)から直接続く物語を映画(無限列車編)で描き、大ヒットを収めましたが、本作『チェンソーマン レゼ篇』もその流れを汲む話題作です。公開前から「レゼ篇は感動する」「泣ける」と周囲の評判を耳にし、大いに期待して劇場へ足を運びました。本レビューでは、TVアニメ1期と比較した映像・アクション面のスケールアップ、実際に感じた物語への印象、音楽の効果、青春の恋模様の描写、そして戦闘シーンの尺について、批評的な視点も交えて詳しく考察していきます(※ネタバレを含みます)。
圧巻の映像美とスケールアップした戦闘シーン

まず特筆すべきは、映像クオリティとアクション演出の大幅なスケールアップです。元々TVシリーズ時点で映画的なクオリティを追求していたMAPPAですが、劇場版では巨大スクリーンとIMAX音響を最大限に活かした迫力が桁違いでした。レゼが変身してからの戦闘シークエンスはスピード感・破壊力ともに凄まじく、「バトルシーンは圧巻の一言でした。」との声も頷けます。特に爆発の描写は細部までこだわり抜かれており、まるで実写で火薬を使って撮影したかのようにリアルです。デンジとレゼの激突によりビル街が派手に崩壊し、血飛沫と閃光が飛び交う様は脳天を直撃するような衝撃で、まさに「映像作品としての美しさが際立っていた」
と言えるでしょう。テレビ版ではできなかった大胆なカメラワークや繊細な動きの描写も盛り込まれ、まるで一枚一枚が絵画のように美しいシーンの連続でした。
こうした映像面のクオリティ向上に観客の評価も非常に高く、実際Filmarksでは初日満足度ランキングで第1位を獲得し、平均★4.3(5点満点)という高評価を記録しています。Twitterやレビューサイトでも「IMAXで観て良かった!曲も戦闘シーンもストーリーも最高」といった絶賛の声が多数見られました。総じて、本作のアクション映像は劇場版ならではのスケールで描かれており、チェンソーマンの世界観を存分に堪能できる仕上がりになっています。
「感動する」と聞いていたが…期待とのギャップ

一方で、物語面では期待していたほどの感動を得られなかったというのが正直な感想です。鑑賞前に「レゼを失う喪失感がすごい」「涙なしには見られない」といった評判を多く目にし楽しみにしていましたが、実際には大きな喪失感よりもモヤモヤ感の方が残りました。
確かにデンジとレゼの悲恋には切なさを感じましたが、号泣するまで感情移入できなかったのはなぜでしょうか。
理由の一つは、レゼというヒロインの背景描写が最小限に留められていたことにあるかもしれません。公安から派遣されたスパイでありながらデンジに恋心を抱き葛藤するレゼですが、彼女がなぜデンジに惹かれたのか、過去に何があったのかといった部分は岸辺のセリフで僅かに触れられる程度で、深く掘り下げられません。
そのため、
「本当に彼女は心からデンジを想っていたのか、どこまでが演技だったのか」
を観客それぞれが想像する余地が残り、逆に感情移入しきれずにもどかしさが残ったという声もあります。実際、ある視聴者は「なぜもっと感情移入できないのかと疑問を抱いた」と述べ、レゼの過去や心理描写の不足を指摘していました。
1時間40分ほどの上映時間でテンポ良く物語を進める都合上、二人の関係構築の過程が駆け足になり、デンジがレゼに惹かれていく描写やレゼが最終的にデンジの元に戻ろうと決意する心理変化も最小限の描写に留まっています。そのため、観客側が感じる恋愛の盛り上がりが不足し、「思ったより…という気持ち」になってしまったのかもしれません。また、
物語展開そのものも予告編から多くが想像できてしまった印象
があります。公開前の本予告映像でデンジとレゼの出会いから戦闘シーン、ラストにマキマが意味深に登場する様子までかなり詳細に示唆されており、大きなサプライズは少なめでした。

原作通りの展開ということもあり、良く言えば安定感がありますが、裏を返せば予想の範疇に収まるストーリーで、「悪い意味でTVシリーズの続編的」に感じてしまった部分があります。実際、とあるレビューでは本作を「一見さんお断りの映画」と評し、「前半まるまる退屈だった」「何を見せられているんだろう?と思った」と辛口に述べています。TVアニメを視聴済みのファン向けに作られているためか、物語の本質的な部分(登場人物の所属組織や目的など)の説明が少なく、初見の観客には優しくないという指摘もありました。
確かに、前提知識なしでは世界観の細部まで理解するのは難しいでしょうし、物語そのものもテレビシリーズからそのまま地続きで始まるため、良くも悪くも「アニメの延長線上」にある作品だと言えます。
もちろん、「アニメの延長線上にある作品ではなく、一つの独立した『映画』として心に刺さる」と本作を絶賛する意見もあります。
実際、映画ならではの演出や映像美によって原作以上の余韻を感じたというファンも多いです。しかし、筆者個人としては物語面での驚きや感動の新規性がやや薄く、期待値が高かった分だけ「思ったほどではなかった」というのが正直なところでした。この点は、本作がシリーズ中盤のエピソードであり物語の結末ではないことも影響しているでしょう。『鬼滅の刃 無限列車編』が一つの完結したドラマとして誰もが涙する盛り上がりを見せたのに対し、本作はあくまでチェンソーマン全体のストーリーの一章であり、観客に委ねる部分も多い余韻重視の作風です。感じ方の差は、このような作品の性質によるものかもしれません。
印象的なエンディング曲と余韻の演出
本作のエンディングは、主題歌・挿入歌として参加した米津玄師さんと宇多田ヒカルさんという日本音楽界を代表する二大アーティストによって、非常に印象的に締めくくられています。
米津玄師さん書き下ろしのメインテーマ「IRIS OUT」で物語が幕を開け、クライマックスでは二人の共作によるエンディング曲「JANE DOE」が流れます。米津さんの繊細かつ力強い表現力と宇多田ヒカルさんの唯一無二の歌声が美しく重なり合うメロディが、切なくも美しい余韻を観客に残しました。
デンジとレゼの儚い結末を見届けた後に響くこの曲は、作品全体のテーマを象徴するような哀愁を帯びており、私もエンドロール中は席を立てずにその余韻に浸ってしまいました。観客からも
「曲との相性が良すぎる。米津さん凄い」
と音楽を絶賛する声が多く上がっています。実際、戦闘シーンで音楽が入るタイミングも完璧で、激しいアクションと音響のシンクロが鳥肌もののカタルシスを生んでいました。特にエンディング曲「JANE DOE」は歌詞の内容と映像演出がリンクし、デンジとレゼの物語を象徴的に締めくくっています。悲しみと希望がないまぜになったような旋律が流れる中で、観客それぞれが二人の行く末に思いを馳せたことでしょう。米津玄師さんと宇多田ヒカルさんという夢のコラボレーションによるこの曲は、「映像作品としての美しさが際立つラストシーン」をさらに感動的なものに仕上げていたと言えます。
10代の儚い恋模様を繊細に描写 – フランス映画的なニュアンス

デンジとレゼの関係性の描写も、本作の大きな見どころです。チェンソーマンというと血みどろのバトルや過激な展開が注目されがちですが、本作前半は青春ラブストーリーとしての側面が強調されています。雨宿りをきっかけに偶然出会った少年と少女が、夜の学校でプールに忍び込み、はしゃぎながら泳ぐ――そんな一連のシーンには、どこかフランス映画のような洒落た雰囲気と儚さが漂っています。
「水中の表現が、フランス映画みたいです。」
という感想もあるほどで、真夜中のプールでじゃれ合う二人の姿は幻想的かつ官能的です。暗闇とプールの青、水面に揺れる光、その中で裸のまま戯れるデンジとレゼ──この刹那的な美しさは、10代のひと夏の恋の衝動をこれ以上なく繊細に描き出しています。
花火大会で無邪気に笑い合う二人のシーンも印象的でした。あまりに幸福そうなその瞬間が、この先に待つ悲劇を予感させるからこそ胸に迫ります。実際、多くのファンがレゼというキャラクターの魅力に引き込まれ、「映画館でレゼの笑顔にやられた」「喫茶店の再会シーン、最高すぎて泣いた」といった感想をSNSに寄せています。原作でも人気の高いエピソードだけに、その映像化には期待と不安が入り混じっていましたが、「ラブコメ要素とアクションのバランスが大人っぽくて良い」という声の通り、甘酸っぱいロマンスと過激なバトルが絶妙な按配で融合していました。特にプールでのひと時から一転、物語後半で二人が敵同士として戦わねばならなくなる展開には切ない矛盾があり、胸が締め付けられます。
「敵のはずなのに胸が張り裂けそうになる、あまりにも切ない物語」
と評する声もあったほどです。

演出面でも、夏祭りの花火や「田舎のネズミと都会のネズミ」の寓話など、フランス映画を思わせる寓意的なモチーフが散りばめられていました。
例えば、誰もいない夜の教室でレゼが問いかける“田舎のねずみと都会のねずみ、どっちがいい?”という会話は、一見他愛ないやり取りに思えますが、ラストでマキマが呟く「私も田舎のねずみが好き」というセリフと響き合い、物語に深みを与えています。こうした細やかな伏線と回収の巧みさも相まって、二人の儚い恋物語はただの少年漫画的なロマンスに留まらず、どこかヨーロッパ映画のような余韻と品格を感じさせました。
戦闘シーンは迫力満点…だが冗長さも?

後半の戦闘シーンは、前述の通り映像的には素晴らしい出来栄えでしたが、その尺の長さについては賛否が分かれるところかもしれません。猛スピードで展開するデンジVSレゼのバトルは圧倒される迫力がある反面、かなり長時間にわたって連続するため、人によっては少々疲れてしまう可能性もあります。実際、ある観客は
「バトルシーンの美しさはさることながら、正直もっと短くて良いと思ってしまう」
と率直な感想を述べています。また他のレビューでは、「轟音と閃光が続きすぎて体が悲鳴を上げ、途中で思わず一瞬寝てしまった」というユーモラスな報告もありました。それほどまでに途切れなく続くド派手アクションの洪水は、観客に休む間を与えない諸刃の剣と言えるでしょう。
もっとも、多くのファンにとっては長尺のバトルも魅力の一つだったようです。次々と投入される悪魔たちとの戦い、息つく間もないアクションの連打に「終始ニヤニヤしながら見てた、凄すぎて」という興奮の声も上がっています。ビーム(サメの魔人)との共闘などコミカルな要素を挟みつつ、最後までハイテンポで畳みかける戦闘シークエンスは、アニメーションが持つ快感を存分に味わわせてくれました。結局のところ、バトルの冗長さを感じるかどうかは個人の好みや体調にも左右される部分かもしれません。本作の場合、原作エピソードにあった戦闘をほぼ余すところなく描き切ったことで、原作ファンからは「まさに見たかった映像化」と称賛される一方、ライトな観客には少々過剰に映った可能性があります。この点については鑑賞前に心構えをしておくと良いでしょう。
おわりに – 総評とシリーズのこれから

『劇場版 チェンソーマン レゼ篇』は、映像美・演出・音楽すべてが高い次元で調和した意欲作であり、筆者にとっても2025年を代表するアニメ映画の一本となりました。青春、恋愛、アクション、コメディが絶妙なバランスで混ざり合い、観終えた後には言いようのない切なさとほのかな暖かさが胸に残りました。TVシリーズから続く物語でありながら、一つの長編映画として十分に楽しめる完成度を持っている点は高く評価できます。とりわけ映像表現と音響体験は映画館ならではの醍醐味があり、原作を知っていても尚、新鮮な感動が得られるでしょう。
もっとも、前述したようにストーリー面では人によって感じ方が分かれる部分もあり、万人が泣ける王道作品というよりは、観客それぞれが余韻に浸り考察したくなるタイプの作品と言えるかもしれません。
原作未読の方やTVシリーズを忘れてしまった方は、鑑賞前に総集編などで予習しておくと物語に入り込みやすいでしょう。逆に原作ファンであれば、「こう映像化してほしかった!」と思うシーンの連続に興奮し、細かな仕掛けや伏線回収に唸ること請け合いです。
最後に、鬼才・藤本タツキ原作の世界をここまで見事に映像化した制作陣の熱意に拍手を送りたいです。エンドロールで流れる宇多田ヒカルさんと米津玄師さんの歌声に包まれながら、私はエモーショナルな余韻に浸りました。デンジとレゼの刹那の恋と別離は、フランス映画を思わせるほろ苦い印象とともに、観る者の心に深く刻み込まれることでしょう。批評的に見れば細かな不満点もありますが、それらを吹き飛ばすほど本作には映像作品としての力強さと魅力がありました。チェンソーマンという物語が持つ狂気と純情、その両面が最大限に引き出された本作は、間違いなくファン必見の一本です。今年一番の映画との呼び声も決して大袈裟ではないと感じられる、充実した劇場体験でした。
映画館を出る頃には、主題歌のフレーズが頭を離れず、デンジとレゼの姿がまぶたに焼き付いていました。興奮と切なさを同時に味わえる『チェンソーマン レゼ篇』、皆さんもぜひ劇場で体感してみてください。心を鷲掴みにされること請け合いです。最後に一言――「なんだよこの映画!?最高かよ!」と言いたくなる、そんな一本でした。


