
松本人志。
1963年9月8日生まれ。兵庫県尼崎出身。吉本興業所属。
言うまでもなく、日本屈指の認知度を有するお笑いコンビ、ダウンタウンのボケ担当です。
2023年12月、週刊誌報道に端を発した、女性に対する性的行為強要疑惑というゴシップの影響が市井にも大きな衝撃をあたえ、本人も2024年1月から裁判に専念するために一時芸能活動を中断していました。
その間にも『水曜のダウンタウン』は相方の浜田雅功がMCとして残り続けましたが、一部の看板MC番組は終了しています。
訴訟は24年11月に本人が取り下げた形となりましたが、これに関しては本人側から「強制性の有無を示す物的証拠はないことを確認した」という一文も添えてプレスリリースされています。
その後、松本は現在に至るまでテレビメディアへの復帰はしていないものの、『ダウンタウン+』という有料配信サービスを独自に展開しており、もっぱらそちらに活躍の軸足を移しているところです。この松本人志という芸人。実は筆者にとってはかなり重要な存在でもあります。
ペンネームに用いている「松本ミゾレ」も、松本人志から勝手に拝借したものです。
ミーハーなんです。
要は前世紀からの大ファンなのですが、果たして今、筆者は「松本人志、大好き」となかなか言わせてもらえない状態にじれったさを感じていまして……。
誰かが声を上げると一斉に付和雷同して真実が明かされる前に叩く傾向が怖いです
子供の頃。それも小学校低学年ぐらいの頃から、筆者はダウンタウンが大好きでした。
元々大阪からイヤイヤ上京させられたダウンタウンでしたが、東京に拠点を移してからほどなくして、全国区の人気を獲得します。
同じ時期に上京した、2人の同級生である作家の高須光聖の存在も大きかったのかもしれません。
1991年からフジテレビで放送されていた『ごっつええ感じ』は、まだ日本のバブルが弾けた直後だったということもあってセットも豪華。
共演者も何度かチェンジしつつ、最終的には130Rや今田耕司、東野幸治、YOUといった未だに活躍する面々を揃えていきます。
何よりダウンタウンの頭脳である松本の世界観がしっかり表現された毎週のコントの数々に、お腹が痛くなるほど笑ったものです。
1989年に放送開始となる、日本テレビの『ガキの使いやあらへんで!』も、予算が少ないなりに優良な企画を次々に創出する番組です。こちらは今も松本不在で続いていますね。
『ごっつ』と『ガキ使』。この2つがあったからこそ、日常に彩りが添えられていたのが筆者の青春時代でした。

翻って現在、私たちは週刊誌報道の見出しを見ては、やれあの著名人は最低、やれこのタレントはファンを失望させているなどなど、ネットの世界に井戸端を移して好き放題言いがちです。
ところが週刊誌報道は必ずしも事実に基づく取材をしてはいませんし、極論、世論を形成できれば勝利。売上を伸ばすことこそが主目的で、本来は物事の真贋など二の次でも問題ないコンテンツ。
ちょっと詳しい方ならご存じかと思いますが、本文中の「関係者によると~」の関係者が、そもそも実在しない、記者の想像の産物でしかない記事をリリースする媒体もあります。
断っておきますと、だからと言って週刊誌が悪だと断ずる気持ちは一切ありません。
大衆の娯楽として、ゲスな知的好奇心を満たす週刊誌のゴシップは、これもまた日常に彩りを添えるものです。
でも、いつからか、週刊誌報道が出た瞬間、その真相が明らかにされるかなり前の段階から。それこそゴシップの初報の段階から、すっぱ抜かれた著名人を集団リンチしても問題ないという空気が充満してはいませんか?
筆者はこれが恐ろしいのです。
お笑いも、ゴシップも、どっちもただの娯楽でしかないのに後者を今、社会正義と定める人がどんどん増えていませんか?
それって流石に迂闊だと思います。
松本人志という話題自体、変な人に絡まれないためにも、今やSNSで野球や政治、宗教と同じように語らない方がいいコンテンツ扱いとなっています。
松本人志が完璧に潔白で疑惑のない男なわけはない!わけはないが…
もちろん、今回の週刊誌報道の一切が出まかせ、嘘だと断定するに足る証拠を、筆者は持ち合わせていませんし、何ならこういったリスクはずっと前から予期していました。
30年以上松本人志のファンをやっていますと、松本の自著やインタビューに応じた書籍などもあらかた所有して、本人の考え方や過去の女性問題については自然に認知できるようになります。
少なくとも筆者が高校生の頃に手にした『松本坊主』という書籍には、彼が大阪時代に行きつけの喫茶店に入った際、店内にたむろしている女性客。
その全員と、既に関係を持っていたことを振り返る記述もあります。
松本自身は初恋の女性とだけは例外的に相当純粋に関係を構築していった様子で、本人も書籍の中において「それ以降はもうめちゃくちゃ」とコメントしています。
ですので女性にまつわるスクープが出たとしても、それはファンなら「どうせそうなると思ったよ」と感じるところ。
その上、松本についての週刊誌報道って23年の例が初めてでも何でもなく、過去にもあることないこと色々と書かれまくっています。
が、これも時代の流れですよね、かつては「ホントしょうがないな」という反応でさっさと流された問題も、今は流石に大事になる。これはしょうがないし、まあ、健全だと思います。誰に向けてのどういう健全性かは分かりませんが。
松本が反訴に及んだこの度の報道に際しても、真実はどうあれ、見出しだけ見て早合点して、松本を。松本ファンを叩く人たちは大勢いましたし、筆者もSNSで人格を否定されました。
でも、そういうことをされたとき思うんですよね。
「ああ、もしかしてこうやって、過去に色んなジャンルがゴシップに端を発して燃えたり燃やされたりを繰り返してきたんじゃないか」と。
たとえば今は旧ジャニーズ問題も色々と山積していますが、問題を起こしたメンバーの古くからのファンがSNSで、いわゆるお気持ち表明をして、それが余計に炎上に油を注ぐ例もあります。
それで言うとこんな作文もきっと多少なり油っぽいんでしょうが、思うにこうなってしまったら旧来のファンがいちいちSNSで大勢に対して異論を呈したところで無駄なんですよね。
それに松本の場合は昔から女性関係に問題があったわけで、本人もそれを本で自認しているわけですから。
庇う理由がないというか、庇っちゃ流石にダメ、という雰囲気まであるレベルです。
ではなぜ、筆者は今もダウンタウン松本のファンで、この地上波に松本が登場することのない事態を悲しいと思っているのか。
その理由は簡単で、最初から松本人志という芸人の、芸のファンだからです。
そもそも芸人は商品であって、ほとんどのファンは決して人間性を推しているわけでもない。ただ、コンテンツなのです。
ごく一部ぐらいじゃないでしょうか、内面にまで身勝手な理想を求めるファンというのは。
ゴシップは問題の共犯者を突然、裁定者に変える
人間性に問題があるクリエイターが素晴らしい作品を作るなんてのは古今たくさん例があり、芸人だってこれは同じこと。
松本人志やその周辺の芸人が、女性に対して酷い扱いをしていたことなど、多分自宅にテレビがあって、バラエティを観る人なら全員分かってたことではないでしょうか。
あれだけメディアに露出があって、知らないなんてことは流石に無理でしょう。
ゴールデン帯で、すべらない話として女性に対して侮辱的な物言いをする芸人。
それを今の今まで許容して、みんな笑っていたはずなんですが、ことが週刊誌報道となったら突然みんな、目が覚めた気になって。
しかも大半はその週刊誌を購入して読んでもいなくて、せいぜい週刊誌のウェブ版で冒頭の部分だけを読んで「詳細は〇日発売の本誌特集ページにて」は意図的に無視しているといったような。
そういう人が多いものだから、内面に問題を抱える芸人の痕跡を慌ててテレビから消そうとクレームを入れたり、テレビ局が勝手に忖度して番組終了の判断に至る。
ものすごく、不自然だと思うんですよね。
今まで一緒になってケラケラ笑ってた人たちが、今日はもう突然に「ずっと前から不快だったんだよね」と鬼みたいな顔をした糾弾者そのものとして振る舞っているのは、流石に怖いです。
そして松本本人がテレビから消えると、今度はファンを「信者」と称して攻撃していき、また週刊誌が別のゴシップをリリースしたら、もう松本人志の話題はしゃぶりつくしたのか、今度は一斉にそっちに食いついてまた別の誰かを叩くというグロテスクなループ。
インターネットの普及は、私たちに“怒り”という無料で得られる娯楽を与えたのだなぁとつくづく感じる次第です。
松本なんて今はもう、会員制のサブスクでしか活動していない芸人なんだから、それを好きだと思う人の気持ちまで否定するのは、少しばかり潔癖過ぎませんか。
他者の好む娯楽、コンテンツを安直に批判する動きは、それ自体が相手の顔を見ずに簡単にスマホやPCで出来る焚書のようなもの。
みんな、突然潔癖症になろうとし過ぎなんですよ。
ともあれ、やられる立場になって初めて感じることですが、無意識に筆者も「どこかで過去に、そういう言動をしていたのではないか?」と自問する日々です。