(Leica M monochrome+Apo summicron 50mm F2.0 ASPH.)
モノクロ写真はお好きですか?僕は一番好きですさじゃんです。自慢というわけではなのですがこちらのカモメの写真の解像力すごいと思いませんか?望遠の一眼レフで撮影した訳ではなく、AF(オートフォーカス)もなく手ブレ補正機能もないトイカメラのような見た目のライカMモノクロームで撮影したものです。このカメラ2010年代モノクロ専用機としてデビューしライカ好き界隈のみならず写真家の間でも噂や評判になっていました。一体その魅力は何なのでしょうか?
カラーセンサーの3倍の解像度
”有効2400万画素の新開発モノクロ撮影専用フルサイズCMOSセンサーを搭載したライカMモノクローム(Typ246)は、ローパスフィルターを搭載しておらず、またカラーフィルターを取り外したことで輝度値の演算に必要な色補間処理が不要なため、色を認識する撮像素子を搭載したデジタルカメラよりもはるかにシャープな描写のモノクロ写真を撮影することができます。”(公式HPより)
そうなんです、単純にカラーのセンサーの設定をモノクロにしたものではなくローパスレスかつカラーフィルターを撤去した事により
モノクロ写真に特化したモノクローム専用機
として誕生しました。現行はライカM10モノクロームという機種になりこちらは4000万画素を有するセンサーに変更されていますが自分が所持していてるのはTyp246と呼ばれる一つ前のモデルです。初代のモノクロームも使っていて気に入っており、二代目であるTyp246に買い換えるほど気に入っているライカのラインナップです。
(左:私のライカMモノクローム初代 右:ライカM10)
カラーで撮影できるM10も同時使用しており、今日はモノクロで撮るぞ!と決めなければ基本はカラーで撮影しRAW現像にてモノクロに変換したりもします。しかし得られる画作りはセンサーの画素的にはハイスペックであるはずのM10をモノクロ化してもライカMモノクロームで得られるものとはやっぱり違うのです。Lightroom等で近づけようとはするのですが、モノクロ写真を納得できる感じにを提供してくれるのはライカMモノクロームシリーズだったりします。言葉で説明できる部分であれば素晴らしい描写力だと思いますし、光の表現が他のカメラとは一段階違う気もします。ある意味で不便である意味で先鋭的で不便な”超高級トイカメラ”だと思っていただけると理解が早いかと思います。
(装着されるレンズはApo-Summicron F2.0 50mm でライカMモノクロームと同時に発表されたレンズ)
しかし、カメラ好きの方もそうでない方も「なんでモノクロしか撮れない写真機なんか出すの?売れるの?」と疑問に思う方も当然いらっしゃるかと思いますが、新型モデルが発表になるたびバックオーダーを抱えるほどの人気になり一代で終わりかと思われたライカMモノクロームシリーズも昨年で3回目のモデルチェンジとなりビジネス的にも成功を収めていると言って良いかと思います。レンズに関しても、このカラー3倍の解像力を誇るセンサーの描写に耐えうるべく開発された辺縁収差を可能な限り排除したApo-summicron 50mmというLeica史上最高技術を結集して作られたというレンズを組み合わせて使っています。レンズとボディでモノクロ写真のみという縛りがあるものの表現力は群を抜いており、撮っていて楽しく現像時に驚くような写真に出会うことがあるカメラだと思っていただけると良いかと思います。
解像力&表現力はカラーモデルのライカMを凌ぐ
(Leica M monochrome Typ246+Noctilux F0.95 50mm)
ライカMモノクロームで撮影した画はどこか
写真が光っている
と感じられるものが多いのです。写真自体が発光している、なんてことはありえないのですが白と黒とその中間の色で全てを表現すると光の描写が見る側にとって一番インパクトを与えるものになると考えています。Maseratiの美しいボディラインとボンネットに差し込む光のコラボが車の妖艶さを更に高めて伝えてくれているようにも見えませんか?
(Leica M monochrome+Apo summicron 50mm F2.0 ASPH.)
写真は画像を記録するものですが、モノクロームで撮影するとこの空間の静寂さも切り取れているような気がしています。色という情報過多な現代に生きていると、ほぼ2色の極限まで削ぎ落とされた世界にミニマリストの千利休の様にワビサビの文化に通じているような気持ちになりモノクロームの世界とはある意味で日本的だと思ったりもします。そんな画作りがこのライカMモノクロームなら可能になるのです。
(Leica M monochrome+Apo summicron 50mm F2.0 ASPH.)
なぜ、モノクロームなら可能なのか?その答えはファインダーで覗いた映像はカラーであるものの脳内でモノクロに変換され撮影する前にカラー写真よりも考えてシャッターを切るようになります。これはフィルム時代に一度モノクロのフィルムを入れてしまうとそのロールを使い切るまでは、カラーに変更できないのと一緒で自分で想像して撮影するしかなくなります。その結果どうなるのか”カラー写真よりも伝えたいもの伝えたいテーマが明確化”できると思うのです。プロもセミプロも今や”撮影機材と現像力の勝負”になってきており誰でもプロ風の写真にAdobeの力を使えば再現できるようになりました。ですが個人的には現像でいじくり倒して、フォトショップでありもしない光源を追加するような写真に心動かされないのです。
(Leica M monochrome+Apo summicron 50mm F2.0 ASPH.)
あくまでその空間を切り取る作業=写真を撮るという事だと自分は常に考えています。構図力であったり露出であったり撮影時の技術力や表現力が写真家の本当の力であって欲しいと願っています。こてこてに弄り倒してSNS映えする写真ならスマホで十分だと思うのです。モノクロームはその情緒や空間の雰囲気を伝播させるのには必要十分な情報量だということに20000枚以上撮影してきて気が付かされました。
(Leica M monochrome+Noctilux F0.95 50mm)
白黒とグレーの中間色で全てを表現するモノクロームという世界。新国立美術館の凛と張り詰めた空気がカラー写真よりも皆さんに伝えることが出来たらこの写真を撮った意義を感じます。過去にはフィルムカメラの魅力も紹介した私さじゃん。
個人的には中判フィルムカメラの圧倒的描写力に似ていてかつロールに制限のある不自由な感じがこのライカMモノクローム(シリーズ)だと思っています。次回は自分が撮影した拙い写真を見ていただきながらモノクロームの良さ、素晴らしさを感じていただけたらと思います。