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写真で振り返る東日本大震災。9年前何が起きていたのか

本日もつたないブログを読んで頂き感謝いたします。今日ここに掲載する写真はすべて自分が撮影したものです。震災時、被害が大きかった岩手、宮城、福島県に在住しており様々な活動をしていた中でこの記録がいつか役に立つ、人々の心になにか訴えかけるものになればと思い、活動の傍ら撮影しました。

 

途中から、衝撃的な写真もあるので苦手な方はここで画面を閉じていただくか後ほどお伝えするエリアからは下へはスクロールなさらないようお願いいたします。

 

 

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南三陸の被災地

もう9年目となりました。こちらに写っている南三陸防災対策庁舎は現在、震災遺構化が進められ工事していて入ることは出来なくなっております。ここは、勇敢な女子職員の遠藤さんが(当時24)が自分の命がなくなるまで最後まで『高台に避難してください』と訴え続けた場所です。その啓発のおかげで、救われた生命があったと聞きます。

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こんな悲しい、悲惨なストーリーはたくさんあります。東日本大震災とは何だったのか、津波とは何だったのか2020年新型コロナウイルスでピンチの日本、世界の人に向けて何か感じでもらえたらと思います。

線路の崩壊が気になり撮影した南三陸町清水浜駅だったと思います。高台を走る電車のレールが壊れているのが見て取れるでしょうか。こんな高い位置の構造体まで破壊する津波のエネルギーに恐怖を覚えたのを思い出しました。

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線路だった場所は雑草が生い茂って電車の路線の面影はありません。植物のたくましさすら感じました。現在は美しく復旧、復興しているので気なる方はGoogle検索してみてください。

ーーーーここから先は衝撃的な写真になります、ご留意くださいーーーーーーーー

(撮影年月日が2011年です)

 震災直後の写真たち

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震災から約5日後の岩手県某所にて。家族を遺品を探す方。写真中段より上の山肌がえぐられている地点が津波到達の高さだと思われます。まだこの時点では被害の全容も死者の数も正確に把握できていない状態です。構造物の破壊、倒壊の状態が凄まじく

 

戦争で爆弾でも投下されたかのような感覚

 

に陥りました。映画のセットのような。自分が生きている間に自分の目でこんな光景に遭遇することがあるとは夢にも思いませんでした。辛い、悲しいを超えると現実離れして受け入れることが難しくなったのを覚えています、なにもかも。

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少し開けた所に来ました。道路が少し見えておりますが、ここも住宅や構造物があった場所です。海岸線より近いエリアなので津波のエネルギーが強かったことが想像できるのともともとの地形の不利もあり高台と呼べるものが周囲になくすべて押し流された状態がこれです。

 

津波の被害は海岸線からの距離よりも海抜の高低によって被害が大きく異る 

 

ことを肌で感じました。見渡す限りの泥と瓦礫、延々と続くこの光景に現実感を得ることがやはりできませんでした。f:id:honknow:20110320115148j:plain

鉄筋コンクリートの構造部以外すべてを破壊した津波。手前の瓦礫の山に車が大きく変形した様子が見て取れると思います。奥のショッピングビルの2階、3階部分がすべて破壊されているのが見えますでしょうか?このエリアは最大でこの『MAIYA』と書いてある看板の高さまで津波が到達しました。直感的に思いました。

 

ここに居たら自分は避難していただろうか。

ここに居たらこの被害を想像できたであろうか。

 

おそらく、高台まで距離があるこのエリアにおいて津波がここまで来ないだろう(海岸線からは距離はある)とたかをくくってしまっていたと思います。地元の方に避難所でお話聞いたときも

 

今まで津波の経験はあったがここまでの大きさだとは思わなかった

 

とみなさん、口々におっしゃっていたのを覚えています。

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道端には、この家の前で撮られたであろう記念写真がありました。生命だけでなく思い出や大切な家もすべて流されてしまいこうした写真や遺品を探しておられる方が沢山いらっしゃいました。この写真を見てとても悔しい気持ちになり涙した記憶があります。

 

どうしてここまでひどいことができるんだろう

 

と。誰を恨めばいいのか、誰のせいなのか、なんでこんな事になったのか。日本では何か事件があると『自己責任』というフレーズが出てきますが、大津波って震災って自己責任じゃないですよね、この出来事に意味があるなら教えてほしいと。自分のなかで消化しきれない気持ちがあの日から残り続けました。

 

9年目の今日おもうこと

写真は数百枚は撮影したと思います。また、来年の今日『震災から10年後』に見てもらいたい他の写真もたくさんあります。自分の目で見て現地に足を運んだ記憶はずっと一次情報として色濃く残るものだと思っています。ニュースや画面で『東日本大震災の死者、行方不明者は2万人です』と言われても自分でこの光景を見るまで実感できませんでした。甚大な被害が出た被災地に何度も足を運び、安置所の凄惨な状態の遺体を見て自分の中で死生観が変わりましたし、どこかの名言だと思いますが

 

『誰かが生きたかった今日』

 

を全力で生きていかないと失礼だと思うようになりました。

 以前、天気の子のレビューにて

 

大切な人が居なくなった世界において晴天など意味はない

 

と書きました。撮影した日も快晴だったのを覚えています。

日本中が世界中が新型コロナウイルスへの対策で大変な状況なのは十分理解しております。9年目の今日少しだけでもこの記事を見て東日本大震災があったこと

あの日2万人以上亡くなった日ではなく

 

一人の人が亡くなった事件が2万件以上あった日

 

として、それだけの数の悲劇や困難があったことを思い出す一助となれたら嬉しいです。あの時日本人の行動とマナーが称賛されました。新型コロナウイルスなんかに負けたくないので、またみんなで思いやれる社会にと願うばかりです。

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