基本的に甘辛い味が大好き、トモGPです。今まで当ブログにおいて様々なお店や料理を紹介してきましたがその度に思うことがあります、それは”おいしさ”を伝えることの難しさです。今回はその”おいしさ”について考えてみたいと思います。
”おいしい”の定義とは?
そもそも我々が食べものに対して感じる”おいしさ”とは一体なんなのか?
食品には一次機能(栄養機能),二次機能(感覚機能),三次機能(生体調節機 能)のつの機能がある。とくに,二次機能の食品の感覚機能は調理が密接に かかわる領域である。食品はそれぞれ固有の組織や成分で構成されており,そ れらが人間の感覚器官に訴えておいしさを感じさせる。すなわち,色や外観は 視覚に,甘味や塩味は味覚に,においは 嗅覚 かく に,テクスチャーは 触覚 かく に,音 は聴覚にと人間の五感に働きかけ,その刺激が大脳で統合化され,おいしさの 評価がなされる。一方,おいしさの良否は食べ物側にのみに依存するわけでは ない。同じ食べ物を食べても,おいしいと感じるときもあれば,砂を噛 か むよう な味に感じるときもある。極度の緊張や不安があれば食欲が低下し,味が感じ られなくなることもある。図-に示すとおり,おいしさの構成は食べ物側 と食べる人側のそれぞれに多くの要因があることが理解できる。
(参照:新版 調理学 建帛社)
いきなり小難しい感じのスタートになってしまいましたが、上の文章は調理師学校などで使用されているテキストからの引用で”おいしさ”の要因を説明したものになります。人間が感じる”おいしさ”の要因は大きく分けて”食べ物側の要因”と”食べる人側の要因”の2つに分類され、さらに細かく分類すると以下の様になります
おいしさを構成する要因
<食べ物側の要因>
・味(甘味、塩味、酸味、苦味、うま味、その他辛味や渋味など)
・香り
・テクスチャー(舌触り)
・温度
・外観
・音(サクサク音など)
<食べる人側の要因>
・生理的要因(食欲、空腹感、健康状態、年齢)
・心理的要因(感情、緊張、ストレス)
・環境的要因(自然環境、社会的環境、食事空間)
この様に実は”おいしさ”を構成する要因はこれだけ細かく分類することができるのですが、この中で自分が特に気になったのが”環境的要因”に含まれる”社会的環境”という項目です。
「社会的環境」で”おいしさ”は変化する?
皆さんも上の表を見てみて”おいしさ”を構成する要因のなかで唯一イメージがつきにくいのが”環境的要因”に含まれる”社会的環境”という項目ではないでしょうか?
社会的環境とは?
”社会的環境”とひとくくりにしてしまうと何のことだかさっぱりですがこれはつまり、食習慣、食情報、文化、宗教、教育などを指します。例えばわかりやすいのが”食習慣”、「お袋の味」なんてのがまさにそれでしょう。自分が幼い頃から慣れ親しんだ味に似たものを無条件で美味しく感じてしまうのは、まさに「食習慣」が”おいしさ”に大きく影響を及ぼしている証拠だと思います。
そしてもう1つわかりやすいのが"食情報"です。簡単な例を挙げると、インスタでバズっているお店の料理を実際に食べてみると実は普通なのに美味しく感じてしまうというアレです。SNS社会の現代において、特にこの"食情報"というのは"おいしさ"を左右する上で昔に比べかなり大きな要因になっているのではないでしょうか。この様に実際の食べ物ではなく"食べる側”といった外的要因により”おいしさ”が大きく変化するのは非常に興味深く、人間って案外単純なんだなwと思ったりもします。
自分はタイ料理が大好きでこれまでタイに何度も訪れては本場のタイ料理を堪能してきました。しかしこんなにタイ料理が大好きなのに実はパクチーは全く食べることができませんでした。少し入っているくらいならまだしも、料理の上に振り掛けられていようものなら全て取り除いていたくらいです。しかしタイ料理好きを公言しているのにパクチーを食べられないコンプレックスもあり、ある時から「これだけ世間でパクチーがもてはやされているんだから美味しいに違いない」「そもそもタイ人はあんなに美味しそうに食べてるんだから絶対に美味しいんだ!」と言い聞かせて無理やり食べる様にしていました。するとどうでしょう、なんと半年もしないうちに逆にパクチー無しではタイ料理を食べられなくなる程パクチー大好き人間になってしまったのです。ただの思い込みや自己洗脳のようではありますがw、これも「パクチーはおいしいものだ」という"食情報"がおいしさに大きく関与した立派な結果だと思っています。
"おいしさ"を伝えることの難しさ。自分がこのブログで目指しているもの
食べ物の良し悪しに関して必要最低限の味のレベルはあるとしても、最終的なおいしさの評価を決めるうえで”社会的環境”の様な”食べる人側の要因”というのは非常に大きな役割があると今回色々調べていて感じました。とここまでダラダラとと書き連ねてきましたが結局何が言いたいのかと言いますと、願わくば自分達のブログもそうでありたいということなんです。自分がこのブログの中でおすすめするお店や料理を選ぶ基準は1つで、”例え満腹でも食べ終わった直後にまた食べたいと思える”ということです。しかし文章で”おいしさ”を伝えることの難しさは毎回痛感していますし、そもそも自分の”おいしい”が果たしてみんなにとっての”おいしい”のか?、という不安はお店や料理を紹介する上で常に付き纏います。それでも自分のパクチー体験の様に今まで嫌いだった食べ物が、自分の記事をきっかけに興味を持つようになってくれたり好きになってくれればこれ程嬉しいことはありません。味に対する嗜好が自分と同じ人にはもちろんそうではない人に対しても届く様な、そしてそんな誰かの”おいしさの環境的要因”を刺激することができる様な記事を目指してこれからもがんばっていきたいと思います。