日本のレジェンドがスキージャンプの葛西紀明ならアメリカのレジェンドはショーン・ホワイト。そのレジェントが北京五輪で引退しました。
最高でシーズン70回ぐらいスノボに出かけていたホッピーです。ハーフパイプも何度か挑戦しましたが、あれはリップから飛び出すだけで一苦労。飛び上がってくるくる回ってほんとおかしい人達の大会だとつくづく思います。
そんな私が毎週末山にこもっていたころからトップ選手だったショーン・ホワイトは13歳でバートンがスポンサーに付き、小さい頃からプロ選手として活躍していました。ハープパイプだけでなく、X-gamesやスロープスタイル、TOYOTA BIGAIRなど数多くの大会に出場し、各大会楽しみに見ていた記憶があります。
冬にこんなに強いのに、夏も練習がてら始めたスケートボードでもX-gamesに出場し優勝していく、化け物のような少年でした。
そんな彼のオリンピックの滑りを振り返ってみましょう。
2006年19歳 トリノオリンピック 金メダル
19歳という若さで初出場したトリノオリンピックでいきなり優勝してしまうショーン。
ちなみに15歳のときにはわずか0.3ポイントの差でアメリカ代表を逃していたりします。
長い赤毛を振り回しながら滑る様からフライングトマトなんて呼ばれていたりしました。このころのトリックを見ると現在と時代の差を感じてしまいますね。壁の高さも繰り出される技の技術もぜんぜん違います。
ここから18年後もまだオリンピックに出ているなんて誰が想像したでしょう。
2010年23歳 バンクーバーオリンピック金メダル
当時ショーンしかできなかった、必殺ダブルマックツイスト1260を炸裂させダントツで優勝したショーン。2本目の点数46.8点を超える選手が3本目で現れなかったため、3本目を滑る前に優勝が決定。それなのに3本目で48.7点をだしちゃうお茶目なショーンでした。
2014年27歳 ソチオリンピック 4位
ソチオリンピックでは決勝1回目に失敗があり、11位。2回目はうまくまとめますが、3発目のジャンプで回転不足があったりと4位。1本目でうまく成績を残せなかったためにプレッシャーがあったのだと思われます。
このあたりから3回転が当たり前になり、もはや人間じゃない動きの勝負に。
そしてここから日本の平野歩夢が出場していて銀メダル、平岡卓が銅メダルを獲得しています。
2018年31歳 平昌オリンピック 金メダル
ソチで4位だったショーンは、その後ニュージーランド等で練習を重ねます。
決勝1回目で93.25。2回目を失敗し、平野歩夢選手が95点を叩き出し、金メダルはいただいた!と思ったら3本目で97.75を出してそれを上回ってくるショーン恐るべしだった大会。この大会の彼は圧巻の仕上がりでした。
2022年35歳 北京オリンピック 4位
予選を86.25点の4位で決勝に進むと、決勝は2本目で出した85点を叩き出します。3本目は失敗し結果は4位でしたが、3本目失敗したあと、ゆっくりと滑り降りる彼の姿に会場のだれもがリスペクトの拍手。最後の最後までショーンでした。
この北京オリンピックでの彼の滑りを見て、十代の頃からスノーボード競技の発展と共に成長し続け、ずっと第一線で戦い続けるということは並大抵の努力ではないですし。本当にすごいことだと感じます。そしてショーンに憧れ、目標としてきた平野歩夢選手のような若い世代へとバトンタッチされ、スノーボードの歴史は続いていくのでしょう。これからはゆっくりと楽しいスノーボードを続けてほしいなと思います。